激走旅日記アレジィ

東欧ってどんなトコ?編

No.13

サラァ〜エボォ〜、ああサラァ〜エボォ〜♪

2002.3月25日(月)

ドブロヴニク→サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

あな〜たを好きで心底愛して〜

”セブンサーティー、ユービーアップ!!”

と昨日SOBEのおっちゃんソドさんに言われたので、7時半に玄関に行く。なんとソドさんがバスターミナルまでわざわざ車で送ってくれるというのだ。サンキューソドさん。さすが人気SOBEだ。車の中ではソドさんお気に入りのCDを聞く。そのCDとは・・・、アイコだった。日本人宿泊客からもらったらしい(もちろんコピー)。ソドさんはノリノリで手拍子して適当に歌い出す。手拍子?

”ハンドルから手離してるじゃん!!”

もう、安全運転でたのむよー。

サラエボの歌

無事にバスターミナルまで送ってもらい、昨日キレまくったねーちゃんからチケットを購入。ここでねーちゃんがだいたい170knと言った訳が判明。基本料金が160knで、それにプラスしてTAXと荷物代でだいたい170knになるという仕組みだ。

バスはサラエボに向け出発。国境を越えてからかなりの山道となる。ついには雪まで降り始めた。クロアチアはアドリア海に面していることもあって暖かかったが、バスはどんどん盆地にはいっていくようだ。日本でいうと長野あたりか?サラエボ行きのバスの中では、絶え間なく”サラエボの歌”が流れていた。

”サラァ〜エボォ〜、ああサラァ〜エボォ〜”

という部分しか理解できなかったが、たぶん”ああサラエボよ、私の故郷、愛しい人は待ってくれているだろうか?”みたいな歌詞だったと思う。メロディーがそんな感じだった。この歌がサラエボ到着までリピートしまくった。

死闘!!

バスは昼過ぎサラエボに到着。ここでもプライベートルーム勧誘おばちゃんが待ち構えていた。ドブロヴニクで紹介してもらったリンクおばちゃんもその中にちゃんといた。さすがクロアチアリンク、ナイス連携だ。しかしまず初めに次の目的地であるベオグラードに行くバスの情報をゲットしたいから先にバスターミナルに行くので後にしてくれい!!と告げるも全く伝わらない。そう、この勧誘おばちゃん軍団、英語がほとんど通じないのだ。ソドが紹介してくれたリンクおばちゃんも、

”ママ、タクシー、ホーム、OK”

となんとかして家に連れて行きたがる。ほぼこのリンクおばちゃんのところにお世話になろうと決めていたが、1人だけ対抗心メラメラのおばちゃんが

”ぜったいこの子達は、私のものよっ!キーっ!!”

とずっと僕達を諦めず、”あのリンクおばさんのところは、最悪だ”とか”うちは15KMでいい”とかなんとかしようと必死だった。いずれにせよユーゴスラビア行きのバス情報を先にゲットしたい我々は、何とかその旨を伝えるも全くダメ。30分くらいこの2人の勧誘おばちゃんともめているうちに、周りにはなんだなんだ?とギャラリーまでできてしまった。だれか英語できる人いないのー?とそこへ救世主到来!!リンクおばちゃんが英語ができる兄ちゃんを連れてきたのだ。これで意思を伝えられる。さっそくその兄ちゃんに通訳をお願いすると、

”おー、ワタシ英語しかシャベレナイネー”

と言ってきた。

”お前はアホかっ!!英語しゃべれても現地語話せなかったら意味ないやろっ!!”

そんな感じで、さらにもめまくる。しかし今度はもう一方のおばちゃんが英語も現地語もわかる兄ちゃんを連れてきた。おかげでようやく意思を伝えることができた。するとこのにーちゃんを連れてきたほうのおばちゃんが、

”ベオグラード行きのバスは、朝から何本もあるわ。行くときには連れてってあげる。”

とタイムリーヒット的な決めゼリフを放ったので、ソドさんには悪いがこっちのおばちゃんにお世話になることにした。

イヴァナガイド

このおばちゃん、イヴァナと言う名前で全然おばちゃんではなかった。年齢は26歳。うそーっ、失礼だが全然そうは見えない、40過ぎだと思っていた。このイヴァナの家まではトラムに乗って行く。僕らはまだボスニアの通過を持っていなかったので、トラム代はイヴァナが出してくれた。ついでにガムも買ってくれた。これが尽くす女イヴァナ伝説の始まりだった。イヴァナはアパートで母親と一緒に住んでいた。父親は内戦で亡くなったらしい。苦労しているようだ。ゲスト用の部屋もあるのだが、そこは先客のイギリス人とスウェーデン人のレズカップルがいたので、僕達はもう1人の超パワフル日本人おばちゃん旅人とさらにイヴァナと一緒に、リビングで寝ることになった。このパワフルおばちゃん、かなりハイレベルでクロアチアにしばらくボランティアで住み、その後ボスニアに旅行に来たのだという。今後はコソボに行き、そこから飛行機で日本に帰るらしい。コソボからの飛行機なんてあるのか?あったとしてもよくそんな航空券とれるなぁ。このパワフルおばちゃんはイヴァナとは逆に超若く見える。実際は40歳らしいが余裕で20代で通用する。パワフルに生きてると年をとらないのかなぁ。それはいいとして、アパートに着くなりイヴァナのお母さんが昼飯を出してくれ、そのあとイヴァナが街の見所を案内してくれた。


内戦で破壊された
オスロボジェーネ新聞社

銃弾で窓ガラスが
吹き飛んだビル

教会

 

サラエボ事件現場

国会議事堂
 

イヴァナ、ピンチ!!

サラエボは寒い。まだまだ冬だ。そのサラエボの街をイヴァナガイドについていく。でもイヴァナが話す言葉はほとんどわからない。イヴァナが知っている英語は”ジャパン、プロブレーム、ノープロブレーム、ボーイ、ガール、ゴー、カム”くらいだ。イヴァナは日本人客からもらったと思われる”地球の歩き方”を片手に僕達を案内してくれた。

”おー、ここ載ってるとこねー、よく見るねー、写真とるねー”

という感じのガイド。有名なツインタワービルはほとんど修復されていたが、歩道には普通に銃弾の跡が残っており、戦争の後がくっきり。今も国連が市内を警備しており、国連カーをよく目にする。そんななかイヴァナは、”ここで赤ん坊が撃たれた”とか”パパも戦争で亡くなった”とかつらい体験を語る。街中の移動には、トラムを使う。イヴァナは普段定期を持っているのだが、たまたま今は家に忘れてしまったらしく、いっしょに無賃乗車することに。サラエボのトラムは、時々停留所から係員が乗り込んできて抜き打ちチケットチェックをするらしい。見つかったら罰金だ。

”イヴァナ、見る。ノープロブレム。プロブレム、ゴー”

つまり係員が来るかどうか見張っている、もし来たら急いで降りよう、ということだ。するといきなり係員が抜き打ちチェックに現れた。

”おー、プロブレーム!!ゴー、ゴー!!”

とイヴァナがあわてて僕らを連れてトラムを降りてやり過ごし、次に来たトラムにまた乗り込む。うーむ、心臓に悪いなぁ。

寒い中、夜暗くなるまで案内してもらい、またトラムに乗って帰ることに。行きにいきなり抜き打ちチェックが来たし、現地通貨も手に入れたので、帰りはちゃんとチケットを買うことにした。しかしイヴァナは、”私はノープロブレム”と切符を買わなかった。買ってあげても良かったのに、”ノープロブレム”と切符を拒否。するとまたしても運悪く係員が現れる。しかも今回は前後のドアから挟み撃ち。イヴァナピーンチッ!!

おー、プロブレーム!!” 

と嘆くも時すでに遅し。捕まってしまうのか?しかし僕達は念入りにチケットをチェックされたのだが、僕達がイヴァナの連れだったからかイヴァナは奇跡のノーチェック!!。超ラッキーだ。あそこでイヴァナが捕まってたらかなり厄介なことになったし、下手したら罰金も僕らが払うハメになったかもしれなかった。助かった、助かった。

無事イヴァナアパートに到着。晩御飯も出してくれて大満足。メニューはボスニア家庭料理のシチューらしきもの。めっちゃうまい。このイヴァナ宿最高。みなさん、サラエボに行くときはイヴァナ宿に泊まろう。今日はかなり長くなってしまってすまん、これにておしまい。


めも

1kn(クロアチア・クーナ)≒16円 1KM(ボスニア兌換マルク)≒65円

バス

 ドブロヴニク−サラエボ 166.5kn

【宿】

 プライベートルーム 15KM

     

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送